「おしりわにバキューンとチュー」展について   19997年5月 JTアートギャラリー

愛の構図、おしりわに求愛の儀式、ガンくん花ちゃんの甘い瞬間

 

日常のごく自然な行為や会話にこそ、真理が顕れていたりして、興味深かったりします。

今回は、最近、私の中に住んでいる一組の恋愛する「おしりわにカップル」にスポットを当て、そのカップルによって演じられる求愛の儀式を図像化しました。

恋愛という、日常ありふれた行為を通して見えてくる逆行する二つのベクトル、能動と受動の様に二つの対峙する力を表しています。自己の体の一部を機械化し、ピストルを構えるおしりわにバキューンと自己の腕から大輪の花を咲かせるおしりわにチュー、彼らのまたの名をガン君と花ちゃんと呼び、彼らが繰り広げる恋愛模様を鑑賞していただきたいと思います。

この恋愛の図像は、自然界の法則のような物です。恋愛感情などというものは衝動的なものですが、その本能的、直感的な行為に隠されたバックグランドには性、思想、宗教、経済など、あらゆるものが統括され、自己の中で処理された上で引き出され起こる感情なのです。この世界のすべてが、バランスによって存在するということの一つの典型的な顕れとして恋愛が認識されている要因は、極めて複雑化した心理の回路を絶妙なバランスによって、単純明快に「好き」という言葉で覚醒させ陶酔させてしまう事によるでしょう。それによって、殆どの人がこの恋愛がもつ覚醒作用を経験している。

恋愛以外にも、目に見えるわかりやすい形、凹凸や陰と陽、+と-、の様に力が均衡を保とうとするシステムが働いているのがわかる。片方の力が強大になれば干魃や水害などの自然災害から人口増加による食物体系の狂い、そして、これらは貧困や精神的不安定さを生み、戦争を引き起こす状況も作り出す。

「私は自然体である」と言うことを口にする人がいるが、その自然体とは、いったいなんだろう?実体のない言葉ですから、わかりにくいです。

私は、自然体とは自分の存在を+でもなく、-でもなく、ゼロの状態にすることだと考えてます。ゼロとは何もないと解釈せず、すべてがそこから生まれ、出発する場所であり、ニュートラルゾーンと定義する。

例えば、人の精神状態を+、-で調整するとします。人により、その方法は異性への愛情であったり、物質的なお金であったりと様々でしょうが、すべては外部への働き、もしくは外部からの働きによってバランスをとります。人を含めた宇宙全体が相対的な活動をするため、自分が存在する以上、関係性を身につけているのです。自分の位置を確認し、宇宙空間、自然界、社会の中でバランスをとる意識を持ちたい。そのためには、常に自分の状態をニュートラルの位置にして、色々な価値観を受け入れ、自己を表現できるように心掛けたい。

日常、どこでも見かける風景を、私の視点により形にすることで作品と出会った鑑賞者が、この様な解釈をした視点もあるのだと感じて頂ければ幸いです。同じ時間を同じ場所で過ごしていても視点が変わると全く違った世界が映し出される。恋愛のようにその気持ちを交換する相手がいなければ、そこに人と人が共有する時間も生まれない。共有する時間は

対話を生みます。私が作品を提示することにより、このものを頭の片隅にでも感じて頂ければ、そこに作者と鑑賞者の間に共有する時間が生まれます。この対話が何を生むかはわかりませんが何かの思考の出発点になれば光が見えるかもしれない。こう希望を持つことで、ここにも愛の図式が完成したといえるでしょう。