手の間のテーマ  「おっぱい討論」

 

内容、言葉を定義することから話し合う

 

形を読み解くための言葉に内包するイメージ、象徴

身の回りの形や姿に様々な概念をあてはめてきた。

 

乳房  母(胎内)、万物を生み出す、宇宙、太陽、栄養、母性、愛情、五穀豊穣

    鳳凰(天の火)、天照大神

    勾玉に見られる紐を通す穴(自分と祖先を繋いでゆく穴)

    出雲型(丸みが強い)

男根  父性、月、死生観(満ち欠けによる)、精神性、子孫繁栄、龍(地の水)

    月読命

 

芸術という言葉を考える(一般的には自己表現の総称として芸術という言葉がある

 

芸術とは感じる事、物である。感動を伴うもの。

美術とは作られたもの、事を全般に指し示す言葉であって評価は伝えてない。

芸術とは評価された言葉であるが具体的にどの部分や事ではなく、全体の印象を指すもの。

それを評価するための数値の基準は作れない。

美術とは実態であって価値ではなく、芸術は価値であって、絶対的実態ではない。

 

ならば芸術はなんの要素によって構成されているのか?

 

時間、個性(感覚)、技術、時代、社会

 

中でも個性という要素が人の生存、存在意義に関わる根本的条件といえる。

現実社会を見渡してみて一人として同じ人間がいるだろうか?

こういった状況を肯定しなければ過去から現在までの人間の社会活動を説明できない。

人はそれぞれ違うものだという認識で原点に立ったうえでこの社会を考えなければ

成り立たなくなるのだ。

他者と自分は違うことを認め合うことでこの社会は成立する。

人は生まれながらに存在意義があるという考えこそが生きる幸せやそこから生まれる感動を根底で支える絶対的不可欠な要素となる。

老人や障害者など生産性がない人間は必要ないなどの現在この社会に蔓延する経済的な視

点からは人間の存在意義は見えない。存在意義を肯定できない考えはやがて社会を破たんさせる。

 

学生時代から現在に至る思考の過程で核になるキーワード

 

内的コミュニケーションと外的コミュニケーション

 

感情、精神、テレパシー

理論、肉体、言葉

 

デザインを学び、伝える(コミュニケーション)という言葉が美術の出発点となる。

「色彩理論の実践」というテーマで行き着いた答えが理論は万能ではないということであった。

人の行動や考えは統計的に見ればおおよそのデータで解析できるのも事実だと思う。

しかしながらそれだけでは説明できない部分が事実あってもう一つ違うアプローチでの外的コミュニケーションと並ぶもう一つのコミュニケーションが必要となってくる。

 

これはユングの言う「共通認識」の問題と一致しているのですが、デザイン理論で記号論

というものがあり、コミュニケーションを行う前提条件としてコード(文化的背景、言語様式)が必要となる。コードが存在するからAをAと認識することが可能となる。

このコードが外的コミュニケーションでは人口的コードといえるが内的コミュニケーションでは深層心理の無意識化にコードがあるのではないかという思いが強くなった。

この共通認識のコードを使う、見つける、備わった表現こそが、人を感動させるのではないだろうかと思うようになる。このコードを体感して意識下、または自覚するにはどういうプロセスが必要となるのだろうか?

 

こういったことから作品制作が始まってゆくことから制作そのものが修業的であるし、

自分の内面を見つめ、問いかけるという行為は宗教者のようでもあり、その思考パターンから輪廻やテレパシーなど同空間、横軸、過去、未来の縦軸の情報伝達や霊的な視点にも

興味を持つ。